東京高等裁判所 昭和44年(う)1629号 判決 1970年5月12日
被告人 相沢チヨ
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役三年六月に処する。
原審における未決勾留日数は全部これを右本刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官検事木村治提出にかかる宇都宮地方検察庁検察官検事井口広通作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人大貫大八作成の答弁書記載のとおりであるからここにこれらを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
検察官の控訴趣意は、原判決には憲法第一四条の解釈を誤り、本件犯罪につき適用すべき刑法第二〇〇条を適用せず、同法第一九九条を適用した法令適用の誤りと本件が正当防衛の過剰行為であると認定した点について事実の誤認をした誤りがあるということに帰着するのである。
よつて先ず、事実誤認の論旨について検討するに、所論は、原判決は被告人の本件行為を過剰防衛行為と認定したが、右認定は、不正の侵害が「急迫」している事実が存在しないのにこれありとなし、又、被告人には「防衛の意思」がなく却つて攻撃の意思を以て本件行為に及んだのに拘らず「防衛の意思」ありとなした点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるといい、それぞれその理由を詳述しているのである。
よつて按ずるに、原判決が被告人の本件行為を過剰防衛行為であると認定していることは判文上明らかである。即ち、原判決は、過剰防衛について、本件犯行当時、父武雄が被告人に対し種々暴言を吐き怒号するなどし、寝床の上に仰向けになつた状態から半身を起こして、突然同人の左脇に座つている被告人の両肩を両手で掴もうとする態度で被告人に襲いかかつてきた。被告人はこれを見て咄嗟に、昭和四三年九月二五日以来被告人が嘗めてきた幾多の苦悩を想起し、同人がこのように執拗に被告人の幸福を踏み躙つて省みない態度に憤激し、同人の在る限り同人との忌わしい関係を断つことも、世間並みの結婚をする自由を得ることも到底不可能であると思い、この窮境から脱出して右の自由を得るためには、もはや同人を殺害するほか、すべはないものと考え、咄嗟に両手で被告人の両肩にしがみついてきた同人の両腕をほどいて同人の上半身を仰向けに押し倒した上、原判示のように同人の股引の紐でその首を締めつけ同人を殺害したものであり、「被告人の右行為は被告人の自由に対する武雄の急迫不正の侵害に対しなされた防衛行為であるが、防衛の程度を超えたものである」と認定しているのであるが、関係証拠によれば、被告人は少女時代父武雄に汚辱を受け、爾来年をへて父娘でありながら夫婦同様の生活を継続して来たもので、その間に数人の子までなした間柄であり、そのことは近隣はおろか多くの人々の知るところとなつていたのであるが、世間態からは普通の夫婦のようにしか見えなかつたというのであり、被告人は、忍従の生活とはいいながら、常時父との間に喧嘩闘争をしていたものでないことは、被告人の妹や近隣の人々の証言するところである。被告人と被害者との間が不断の緊張、うつせきの関係にあつたとし、それを武雄が被告人に対し継続的強姦行為をなしていたというにたとえるが如き弁護人の答弁書の議論はとるに足りない。ただかかる従来の被告人と父武雄との関係も、被告人が原判示印刷所に勤めて、そこで若い男性と知り合いとなり、社会的に醒めて来てからはやや変化の様相を示し、本件犯行前においては、その関係は緊張を示して来たのであり、殊に犯行前旬日の間においては、漸く積年の不自然、不倫な生活環境を打開しようとする被告人の意図とこれに執着しようとする被害者の意図とがくいちがいを来たしたことを看取し得るが、それとても不正の侵害が急迫しているといえるようなものでなかつたことは、検察官所論のとおりである。そしてこれを本件犯行時の経緯についてみるも、当時被害者は過度の飲酒により、夜中独りで便所にも行けず、被告人に身体を支えられてようやく用を足すという有様であつたのであるから、被告人に対し小暴力を振うことができるかも知れないのは別として、被告人を殺傷するというような力を振う余地はなかつたと認めるのが相当である。一方、被告人は、証拠によれば、それまでにも再度父武雄に対し殺意を抱いたこともあつたという供述はあるが、それは別として、本件犯行時である一〇月五日夜には、武雄の態度が酩酊時であるとはいえ、あまりにも無責任、身勝手であつたため、激憤を抑制し得ず、遂に、この際父親である武雄を無きものとする外には、世の常の幸福を得られないと思いつめ、ここに殺意を生じ、抵抗不能に近い武雄を絞殺するに至つたものと認められるのであつて、この間、いわゆる急迫せる侵害なるものもなく、また、被告人に防衛の意思がないばかりでなく、却つて攻撃の意思があつたものと認める外はないから、本件につき正当防衛ないしその過剰防衛又は緊急避難等の緊急事態の存在を認めることはできないといわなければならない。果して然らば、本件について正当防衛の過剰行為があつたものと判断した原判決の事実認定は、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の違法を犯したものといわなければならない。(但し、被告人のおかれた主観客観の事情を証拠により観察するに、当時被告人が心身耗弱の状態にあつたものという原審の認定は相当であるから、これを支持すべきものである。)
よつて、検察官の事実誤認の論旨は理由があるから、原判決には、刑事訴訟法第三八二条の破棄の理由があるというべきである。
また、検察官の法令適用の誤りについての論旨は、原判決が、刑法第二〇〇条は憲法第一四条の規定に違反する無効の規定であるとして、その適用を排斥し、本件について刑法第一九九条を適用したことを非難し、本件には当然刑法第二〇〇条を適用すべきものであるというのであるが、刑法第二〇〇条が憲法第一四条に違反しないことは、最高裁判所の屡次の判決の趣旨によつて明かなところであり、当裁判所においてもその見解を同じくするものであるから、本件の事実関係が前示の如くである以上、本件については当然刑法第二〇〇条の適用すべきものであり、従つて本件につき刑法第一九九条を適用したのは、原判決の法令解釈、適用に誤りがあるといわざるを得ない。原判決は、刑法第二〇〇条の憲法違反である所以を例をあげて論じているが、当裁判所を首肯させるに足りないし、いわんや、最高裁判所屡次の判決の趣旨を変更させるに足る理由を提供するものとはいえない。従つて、これに同調する弁護人の答弁書の所論も採用に値せず、検察官の所論は、以上の点についても、その理由があり、本件については刑事訴訟法第三八〇条によつても原判決破棄の理由があるといわなければならない。
以上説明のとおり、本件においては検察官の所論は、いずれもその理由があり、原判決は前叙の如く破棄を免れないのであるが、当裁判所は、記録並びに原審において取り調べた証拠によつて、本件について直ちに判決をすることができるものと認めるので、刑事訴訟法第四〇〇条但書により更に左の如く判決することとする。
第一、被告人の生立及び本件犯行に至るまでの経緯
被告人は、昭和一四年一月三一日父武雄(大正四年生)と母リカ(同年生)の二女として出生したが、満一四才になつて間もない中学二年生の昭和二八年三月頃、父武雄は妻リカの眼をぬすんで非道にも被告人を無理に姦淫しそれを契機としてその後も不倫行為を反覆したが、被告人が約一年後、そのことを母リカに訴えてからも武雄の右行為は依然としてやまないので、それを諫止しようとするリカと武雄との間に紛争が絶えず、武雄はリカを邪魔者扱いにしたため同女が家出したこともあり、又、被告人としても母や親族の者の協力により再三武雄の魔手からの脱出を図つたが、その都度失敗して武雄に連れ戻され、依然不倫な関係を継続することを余儀なくされた。そして、武雄は、昭和三一年からリカと別居し、被告人とその妹洋子を伴つて栃木県矢板市内に転居し植木職を営んで生計を立るに至り、被告人は同三一年一一月一七才にして武雄の子恵子を生んだのを始めとして相次いで五人の子供を出産(そのうち二名は生後死亡)し、右恵子が生れた後は武雄の許から逃げ出すことを断念し、不倫な関係に世間態を恥じ乍らも専ら家庭にあつて子供の養育に当り忍従の生活を送り、武雄も被告人を恰も妻のように遇し、両名は一見夫婦と異るところのない生活を営んでいた。
ところが、被告人は、昭和三九年八月から生計の一助として同市内の印刷所に工員として通勤するに及んで、漸く社会的視野を広くし、社会的に自覚するようになり、今更乍ら武雄のため忌わしい関係を余儀なくされている自己の境遇を反省すると共に、同人のために青春を犠牲にした身の不幸を痛感し、久しく諦めていた正常な結婚相手を得て世間並みの家庭を営みたいという気持を抱くに至つたが、その後昭和四二年頃勤務先に印刷工として稼動するようになつた郡司好偉(当時二二才)と知り合いとなり、やがて相思の仲となり、同四三年九月中旬頃被告人の方が年上であるという年令の差を超えて同人と結婚を約するまでになつた。そして被告人は、この機会を取り逃がしては一生幸福は得られないものと強く感じ、平穏裡に武雄との不倫の関係を清算し、現在の嫌忌すべき境遇から脱出するためにも、この際武雄に郡司との間柄を打明け、その諒解の下に円満に右結婚を成就したいと念願するに至つた。
そこで、昭和四三年九月二五日夜、被告人は、武雄に対し、「今からでも私を嫁にもらつてくれるという人があつたら、やつてくれるかい」と婉曲に結婚の諒解を求めたところ、武雄は「お前が幸せになれるなら嫁つてもよい」と答え、最初はそれを諒解する口吻であつたが、被告人に既に若い結婚相手があることを聞くや、にわかに態度を変じ種々口実を構えて難癖をつけ、飲酒した上、「若い男ができたというので出て行くんだら出て行け、お前らが幸せになれないようにしてやる、一生苦しめてやる」とか「今から相手の家に行つて話をつけてくる、ぶつ殺してやる」などと怒鳴り出したので、被告人は怖くなり、勤めをやめて家に居るからと武雄を宥めて就寝させ、当夜は事なきを得た。被告人は、かかる武雄の態度から、武雄の諒解は到底得られないものと思い、郡司に右の顛末を電話で連絡して面談することを約し、又、祖父政一(武雄の父)にも相談するため秘かに外出しようとして出かけたところ、その途中で武雄に発見されて無理矢理に連れ戻されてしまい、その後武雄は近所への日常の用事以外には被告人の外出、出勤をも許さず、自らも仕事を休んだりして、被告人の行動を監視することが多く、在宅中は連日のように昼間からでも飲酒しては結婚反対乃至妨害の脅迫的言辞を繰返して被告人をおどし、夜は疲労に苦しむ被告人に対し仮借なく性交を求め安眠を妨害した。このようにして、被告人は、不倫な生活をあくまで継続しようとする武雄から、円満に諒解を得て右結婚を実現することは到底見込みがなく、又、後難を案じて武雄の許から逃げ出すことは勿論、一時抜け出して郡司と面談することも、或いは他の助言、援助を求めることすらも思うに任せず、独り煩悶、懊悩していたため、食慾も減退し、それに睡眠不足なども加わつて心身共に疲労するに至つた。
斯かる状態で約一〇日間を経過した同年一〇月五日、武雄は昼食時頃仕事先から帰宅し、寝たり起きたりしながら飲酒し、被告人に対し「俺から離れて何処にでも行けるものなら行け、何処まで逃げてもつかまえてやる、一生不幸にしてやる。」などと相かわらずの脅迫的言辞を弄し、有合せの酒がなくなると被告人に焼酎一升を買つて来させて、それを一合位飲むなどして、「やれるならやつてみろ」と捨台詞を残して就寝した。
第二、罪となるべき事実
被告人は、昭和四三年一〇月五日午後九時三〇分頃、当時の住居であつた矢板市中一五〇番地の四四市営住宅一二号の六畳の間において就寝中、被告人の傍で就寝していた武雄が寝床から起き出す気配に目を醒ましたが、武雄が茶箪笥に在つた焼酎をコツプ二、三杯(約二、三合)立て続けに飲んだ後、被告人に対し「俺は赤ん坊のとき親に捨てられ、一七才のとき東京に出て苦労したんだ、そんな苦労をして育てたのに、お前は一〇何年も俺を弄んできて、この売女。」といわれのない暴言を吐き被告人を罵つたので、平素余り同人に逆つたことのない被告人も、同人の余りに身勝手な暴言に対し「小さい時のことは私の責任ではないでせう、佐久山(武雄の親の在所の意)にでも行つて、そんなことは言つたらよいのに」と反駁したところ、武雄は益々怒り出し、「男と出て行くのなら出て行け、何処までも呪つてやる」「この売女、出て行くんなら出てけ、何処までも追つて行くからな」「俺は頭にきているんだ、三人の子供位は始末してやる。おめえはどこまでも呪い殺してやる」などと喚き、寝床に戻つて仰向けに寝ていた状態から上半身を起こし、同人の左脇に座つていた被告人の両肩に両手でしがみつこうとした。ここに至つて、被告人は、前記のように去る九月二五日以来武雄のために味わつてきた幾多の辛酸苦悩を想い、同人がこのように執拗に被告人を自己の支配下に留めて情慾の犠牲にし、被告人の幸福を蹂躙して省みない無情身勝手な態度に憤激し、同人の在る限りこの忌わしい不倫の関係を断つことも世間並みの結婚をすることも到底不可能であると思い、斯かる窮境から脱出して自分の自由を得るためには、最早父親である武雄を殺害するよりほかに術はないものと考え、前記のとおり両手を以て被告人の両肩にしがみついてきた武雄の両腕をほどき、過度の飲酒のため抵抗力を失つていた同人の上半身を寝床の上に仰向けに押し倒した上、自らは中腰になり、左手で同人の左側からその上体を押さえ、右手で枕元にあつた同人の股引の紐を取り、これを同人の頸部に一回捲きつけて同人の咽喉部辺りで左右に交差させ、その紐の両端を左右の手で持ち、左膝で同人の左胸部辺を押さえた儘、紐の両端を左右に強く引いて同人の首を締めつけ、よつて同人をしてその場で窒息死するに至らしめ、もつて同人を殺害したものである。
なお、被告人は本件犯行当時旬日に及ぶ心労と睡眠不足等のため心身ともに疲労し心神耗弱の状態にあつたものである。
証拠の標目(省略)
弁護人の主張に対する判断
弁護人は、被告人の本件所為は、正当防衛又は緊急避難に該当し、仮に然らずとしても過剰防衛又は過剰避難に該当すると主張するけれども、その理由のないことは、先に説明のとおりである。
法令の適用
被告人の判示尊属殺人の所為は刑法第二〇〇条に該当するので、その所定刑中無期懲役刑を選択し、右に心神耗弱の状態における行為であるから同法第三九条第二項、第六八条第二号により法律上の減軽をし、更に、犯罪の情状憫諒すべきものがあるから、同法第六六条、第六八条第三号により酌量減軽をした刑期の範囲内において、被告人を懲役三年六月に処し、原審における未決勾留日数は同法第二一条に従いその全部を右本刑に算入し、原審並びに当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(井波 足立 酒井)